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2016/4/21

インドの死生観&日本人の往生

新しい年度が始まり、4月21日には今年度初めての「生と死を見つめる集い」が開催されました。昨年度より始まった「生と死を見つめる集い」も、二年目を迎え、「いのちの終活講座」というサブタイトルを加え、新しくスタートを切りました。やがて迎える旅立ちのときに、微笑みをもって「ありがとう」と言えるように、一年間「生と死」について、ゆっくりと考えてまいります。初回は全青協主幹・神仁を講師に、「インドの死生観&日本人の往生」というテーマで話がもたれました。



 講演の前半では、神主幹によって、実際のインドの様子(写真)がスライドを用いて紹介されました。ガンジス川を中心に、至るところに「祈り」の姿が見られ、生き生きとした「信仰」の形が感じられます。実際に写真を見ることで、話を聴くだけではわからない、今のインドを体感することができました。
 現在のインドは、技術も進み、経済成長も著しいものがあります。しかし、その一方で、学校にも通えないような貧しい子どもたちも多く、経済格差は経済発展を遂げる前より大きくなっているそうです。
 神主幹はインドのお寺で住職を務めています。お寺の境内に学校を作り、貧しい子どもたちに、無料で教科書や制服を支給し、無料で授業を受けられるようにしています。また、一昨年には無料クリニックが開設され、診療も受けることができるようになりました。いまだカースト(階級制度)の残るインドにおいて、低カーストから脱出するには、「教育」が最も重要であり、神主幹も「教育」に対し、力を入れて支援を続けています。今後は、学校に図書室とコンピュータールームを作ることが目標であるそうです。


 さて、講演の後半は、お釈迦様がお生まれになったインドの死生観、そして、お釈迦様自身の死生観、さらには、お釈迦様以来受け継がれてきた日本人の死生観に至るまで、多様な視点から死生観について学びました。
 神主幹のレジュメを参照し、トピックを挙げると、「インドの死生観」「お釈迦様の死生観」「往生とは」「『日本書紀』に説かれる死生観」「鴨長明の死生観」「道元の死生観」「親鸞の死生観」「蓮如の死生観」「良寛の死生観」「特攻隊員の私記『きけわだつみの声』にみられる死生観」「金子みすゞの死生観」「青木新門の死生観」「「千の風になって」にみられる死生観」となります。内容の濃い盛り沢山の講義でありましたので、その中からいくつかを取り上げて、ごく簡単にご紹介いたします。

◆ お釈迦様の死生観
『大般涅槃経』より、
この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。
と、お釈迦様の言葉が紹介されました。これはお釈迦様が入滅される直前に弟子たちに向けて説いた最後の教えともいわれています。「真理とは、他のどこにあるわけでもなく自分自身の中にある。自分自身をしっかり見つめ、それを頼りに生きることが大切である」というお釈迦様の死生観が伝わってきます。
また、お釈迦様の言葉には、輪廻から抜け出すことが安楽であるというように「生」を苦しみと捉える一方で、次のように、生きることに喜びを見出すような面もみられます。
  アーナンダよ。ヴェーサリーは美しい。ウデーナ霊樹の地は楽しい。ゴータマカ霊樹の地は楽しい。七つのマンゴーの霊樹の地は楽しい。パフプッタの霊樹の地は楽しい。サーランダダ霊樹の地は楽しい。チャーパーラ霊樹の地は楽しい。
このことから、お釈迦様は自らの人生に苦しみながらも、生きることに喜びを見出し、自らの「生」を大切に歩まれていたことが伺えます。

◆ 良寛の死生観
文政11(1828)年、新潟県三条市を中心に大きな地震が起こりました。そのとき、良寛が親交のある俳人・山田杜皐(とこう)に送った手紙の一節です。
  災難に遇う時節には災難に逢うが候う。死ぬ時節には死ぬがよく候う。
  これはこれ、災難を逃るる妙法にて候う。
「災難を逃れようとすると災難に逢う。今をありのままに受け止めることが一番の災難から逃れる方法である」と、述べられています。このことは、いつも神主幹がお話している「過去を悔やむのではなく、未来を怖れるのではなく、今を一生懸命生きていく」ということにつながっていると思います。「生きる」ということは、「今」の連続であり、それは、過去を悩み、未来を怖れるのではなく、「今」を一生懸命生きていくしかありません。良寛の死生観から、「生と死をみつめる集い」のテーマである「今日一日を輝いて生きるために」ということを改めて感じることができました。

 熊本を中心に九州地方は、先般の震災の影響が強く残っています。犠牲になられた方も多く、私たちは否が応にも、生と死について考える機会となりました。日常の慌ただしい生活を送るなかでは、どうしてもゆっくりと自らの死生観に思いを巡らす余裕がありません。今年度もさまざまな講師の先生をお招きし、築地本願寺の阿弥陀様の前で、皆さまと一緒に、生と死について考えていきたいと思います。一年間、よろしくお願いいたします。



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